捨てたいものはなんですか?捨てにくいものですか?

f:id:je_suis_h:20210510205820p:plain

お題「捨てられないもの」

 

いろいろある。

 

子どもの頃に家族でハウステンボスに行った時に買ってもらった限定品の真っ白のテディベア

 

叔母さんの部屋から出てきて、可愛い!と貰ったジュースの空き瓶(花瓶にしている)

 

結婚式の時のブーケをドライフラワーにしたもの(そろそろドライフラワーとしての寿命もきている)

 

時々にいただいたお手紙

 

(燃やしたいほどの出来だけど)修士論文とその資料

 

多分他にもたくさんあると思う。

 

もちろん、思い切って捨てたもの、手放したものもそれ以上にある。

私は何ヶ月かに一度、猛烈な断捨離魔となることがあり、その時には服やらバッグやら靴やら、とにかく手放す。

手放して手放して、憑き物を剥ぎ取るように、ある種病的に片付けまくる。

ひとつの場所が片付くと次の場所、また次…と家中をくまない片付け、整頓する。

ラベル一つまできっちり揃うのを見てはじめて満足し、気持ちが落ち着く。

 

それでも、上に書いたものたちは捨てられない。

思い出が詰まっているからなのか、執着なのか、捨てることへの後ろめたさなのか分からないけれど、捨てることができなかった。

 

ふと、もしこの先離婚することになったら、その時私は結婚指輪を捨てるのだろうかと思った。

これまではお付き合いしてきた人から貰ったものは基本的に全て捨ててきた。思い出したくない(というほど悪い思い出ばかりではないけれど)から。

でも、結婚指輪だ。一般的にはどうしているんだろう。

 

義両親は結婚指輪はセットで売ったらしい。

もう着ける習慣が長らくなく、必要ないから。

とっても仲良しなおふたりだけど、そういうケースもあるみたいだ。

 

となると、やっぱりセットで売り払って出た利益を折半が一番合理的なんだろうな。

離婚する予定ないけど。

 

捨てられないもの。

捨てたいもの。

捨てたくないもの。

全部に当てはまるものなーんだ。

 

とつまらないナゾナゾを思いついてしまった。

答えは「私自身」。

 

昔観た『生きてるだけで、愛』という映画の主人公が最後に恋人に言う。

 

「あなたはいいね、私と別れられて。私は私と別れられない」

 

これまで捨ててきたものは、私自身の身代わりなのかもしれない。自分を捨てられない代わりに、自分を構築してきたものを捨てていく。捨てて捨てて捨て切って、空っぽになってホッとする。

 

空っぽになりたい。自分を消したい。

そんな欲望が断捨離魔になって現れるのかもと、書きながら気付いた。

 

でもまた空っぽの自分が不安になって、物を取り込んでいく。

 

同じ「手放す」でも、ミニマリストの人や義両親とは真逆の行為なのだ。

彼らは「自分自身」という軸があり、それを愛し、誇りに思っている(と感じる)。

だからものがなくても平気だし、捨てる行為に依存することもない。

 

捨てることは悪いことではない。

身軽に暮らす心地よさも知っている。

何はともあれ、捨てながら、自分を愛することが必要なのだ。