「なんで」を何度繰り返しても答えなど出ないと分かっていても

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金曜日の夜、夫とレモンサワーを飲みながらのんびり食事をして、洗濯物を畳んで、さあて食後のおやつでも食べようかな、なんて思っていたその時、母から信じられないLINEがきた。

ばあばが大変な病気になった

状況が飲み込めず、慌てて電話をして話を聞くと、どうやら血液の病気らしい。
ひと月くらい前からなんだか具合が悪いなと思いながら、ここ1週間になって食事もできないほどまで悪くなってはじめて具合が悪いと家族に打ち明けた祖母。我慢強いって日本人の美徳みたいに言われるけど、もっと早く辛いって言っていいんだよと言いたくてたまらない。
採血をした結果、血液中のあらゆる数値が悪く、輸血が必要と言われた。


でも祖母は輸血はしないと言ったらしい。

これは、寿命だから。

大学時代、ターミナルケアについて学んだことがある。終末期に必要なことは、その人の意思が尊重され、最期のその瞬間まで「その人らしく」生き切ること。だから、祖母が「何もしない」と言うのならそれは尊重されなければならない。


と、理性では分かっていても、私だって一応血の通った人間だ。

え、やだやだやだやだ。ばあばが死ぬとかほんとやめて?まじで私の寿命渡すから

心の中はこんな感じだ。32歳、博士課程卒が聞いて呆れる。

祖母は清貧で、愛に溢れていて、ちょっと(いや、かなり)天然で、健康優良児だった。
いつも、玄米に大豆などの豆類を混ぜて炊いたご飯を50回は噛んで食べ、小さな畑で野菜や果物を作るのが好きで、一日の終わりにいも焼酎をチビチビやるのが唯一の楽しみ。

ある時妹がヒッチハイクで日本一周をしているカナダ人の青年2人を「拾って」きた時、「どこぞの誰とも分からない人をうちに泊めるなんて」眉をひそめる私と父の横で、祖母は「人に優しくすると必ず自分に返ってくるのよ。妹ちゃんは優しいね」とニコニコと喜んでいた。

そんな健康で、穏やかな暮らしをしている人が、大病を患うなんて誰が想像しただろう。

私が全身疼痛を患って、外出はおろか、日常生活も満足におくれないことにフラストレーションを抱えていた時も、妹と喧嘩して落ち込んでいる時も、いつも私の心に寄り添ってくれた。
「つらいね、でも大丈夫よ。ばあばが祈ってあげるからね」
そう言って、優しく背中を撫でてくれた。

祈りとは特別なものではない。誰か大切な人のことを静かに深く考えること。そして、それはもっとも愛に即した行為である

311の地震のあと、大学の授業のなかでシスターが教えてくれた言葉だ。
はからずも、それから10年が経ったいま、私はまた「祈り」について考えている。

ばあばがいつも私たちを思ってくれていたように、今夜はいつもよりもずっと深く、ばあばのことを想って眠ろう。
それが今この瞬間に私に許された「祈り」だとしたら、心のなかで祖母のこと抱きしめ、「きっと大丈夫」と伝えたい。「ばあば大好きだよ」と言いながらふたりでいも焼酎をちびりちびりとやりたい。

神さま、もう少しだけもう少しだけ私たちに時間をください。できるだけたくさんの「ありがとう」と「大好き」を祖母に伝えていきたいのです。