けっこん、そして。

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少し前に書いたけど、私は結婚制度が嫌いだった。

できることなら事実婚にしたかったのだけれど、そこは二人だけでは決められないことだった。
まず私の両親が猛反対し、「ちゃんと」結婚しないとダメだと言って聞かなかった。
事実婚だって、住民票には「妻(未届)」って記載されるし、対外的に「結婚しましたー」って言えば一緒じゃないかと思っていたけど、無理に強行突破するのもなあという思いもあり、言うことを聞くかたちにした。
じゃあせめて、彼に苗字を変えてもらう(彼はそこに抵抗はないと言っていたから)ことを母親に話したら、そこでも猛反対にあった。
「長男に苗字を変えさせるなんて!」
えーーー……長女の私はいいんかい。
と思ったけど、反論するのにも疲れてきて、結局私が「ふつうに」苗字を変えた。

婚姻届を書きながら、そして今、このnoteを書きながら、結婚ってなんだろう、と考えている。
とは言えここで、夫婦別姓ジェンダー論について語るつもりはさらさらない。

私は相手と対等な大人同士として、一緒に生きていくためにパートナーシップを結びたいだけだった。
「婚姻届」以外に、合理的かつ社会的にも納得を得やすい方法があれば、そっちを選んでいたと思う。

同じ家に帰って、同じ布団で寝て、一緒にご飯を食べて、手を繋いで、キスをして。
していることは、恋人同士のときと何も変わらない。
「この人と(限りなく長く)一緒にいたい、一緒に生きていく」
という思いが増えたくらい。

結局のところ、結婚って意思表示にすぎないんだろうと思う。
双方に対して、そして二人を取り巻く人々に対して。
大事なことは、表明した後、その思いができるだけ長く続くように努力できるかどうかだ。

今ちょうどラジオから、星野源の「恋」が流れてきた。

「夫婦を超えていけ」

「ひとり」と「ひとり」が出会って、夫婦と呼ばれる「ふたり」になった。
でも、それを超えた景色があるなら見てみたい。

夫婦を超えていけ。二人を超えていけ。

私たちは超えられるのだろうか。


(どうでもいいけど、星野源のライブ、行きたかったなあ…)