私たちは何者にもなれない

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研究者になりたかった。

ここで言う研究者とは、研究活動で身を立てることだ。要は大学教員として就職したかった。

今、私は会社員を経て事業を立ち上げている。

就職するまで、絶対一般企業では働けないと思っていた。あまりに長く大学という場所に居すぎたから。30歳を目前にして、はじめてまともに就職するのだから、相当怖かった。

でもそれは杞憂に終わり、大学院時代に身につけたスキルは実社会でも十二分に役に立った。

「あ、ふつうに生きていけるわ。」

就職して半年くらい経った時、そう思った。

自分のことを研究しかできない人間だと思っていたけれど、案外そうでもなかった。

研究者になりたかった時、私にしかできない研究がしたかった。新規性があり、独創的な、そして研究史にとっても意味のあるもの。自分が穴が開くほど読んでいる研究書のような、そんな本が書きたかった。

それができないと悟ったとき、悲しさとともに少しホッとした。

「一角のもの」になりたいのに、なれずにもがき続ける苦しさからようやく抜け出せた気がした。

私たちは何者にもなれない。

本当は名の通る人間になりたいし、バズる人になりたい。

でも、多くの場合それは願望や羨望で終わり、「自分」という何者でもないただ一人の人間として淡々と日々を過ごすほかない。

それはちょっとだけ切ないけれど、だけどある意味とても心地の良いものなのかもしれない。

確固たる「何者」になれない代わりに、何にでもなれるのだから。

研究者として身は立てられなかった。会社員としても、長く勤め上げることはできなかった。

今準備している事業もこの先どうなるかまったく見通しは立っていない。失敗するかもしれないし、大成功するかもしれない。

だけど、人知れず、誰にも気兼ねせず、私は別の人間にもなれる。

たとえば、シンガーソングライターとか。(嘘です、歌えません)

「何者」かにはなれない。

でも、何にでもなれる自由を持っている。

この逆説が、人生を軽やかに、そして楽しくさせてくれる気がするのだ。